この、魂の器  

 
 
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 ぼくらはひとつだった。
 ぼくらのリンクは、ぼくらを何処までも深く、遠く、はるかにしてくれた。
 ぼくらは都市に拡がり、惑星を包み、星系を、銀河をも呑みこんで、宇宙になった。
 ぼくらは、唯一つだった。

 ……なのに。
 どこからおかしくなってしまったのだろう。いつから狂ってしまったのかなぁ。
 乾いた泥人形が、端からポロポロと崩れていくように、ぼくらのどこかが小さく壊れていって、
いつからか、ぼくらは宇宙になれず、銀河に手を伸ばせず、惑星を巡るのが精一杯になってしまった。
 そんなふうに、ぼくらが感じる世界がどんどんどんどん狭くなっていって、ぼくらは初めて、ぼくらの中にあるそれぞれのぼくに気付いた。

 ぼくは、いっぱいいた。

 それぞれのぼくを区別するために、ぼくらは、それぞれのぼくに名前をつけた。
 アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、エプシロン……カイ、プサイ、そしてオメガ。 
 それはみんなぼくだけど、でも、ぼくじゃなかった。ぼくはその中でも、ファイという名前により多くの比重を持っていた。
 ぼくらがそれぞれに名前を持ち、ぼくらは一つだけど一つじゃないって気が付いた頃、
 ぼくらは、ぼくらが遠く、深く、手を伸ばすことができなくなった理由を知った。
 一つの名前に、どのぼくも応えなかった時、つまり、ある名前のぼくがふいに返事をしなくなる時、ぼくらは少し小さくなる。
 どうしてなのかはわからない。
 やがてぼくらは、為す術もなくその名を減らし、小さな都市、小さな建物、小さな部屋にしか、ぼくら自身を伸ばすことができなくなった。
 ぼくらの名前は三つになった。
 その頃には、ぼくらはそれぞれのぼくらに違いがあることを知っていた。
 ラムダは、楽天家で陽気。たまにじれったくなるほど前向き。
 シグマは、なんにでも反対したがる。時には自分の意見にさえ異を唱える。
 そしてぼくは、ファイという名前だったぼくは、いつも……

 怯えていた。

〈とうとうぼくらだけになっちゃったね。どうしよう。ぼくら、どうなるのかな〉
〈どうなるって、どうにかなるのさ。ま、そんなに心配することもないでしょ〉
〈能天気なヤツだな、相変わらず。これが自分だなんて思いたくない。いや、既に自分じゃないのかもな〉
〈ぼくらはぼくらでしょ。ねぇ、いつまでもぼくらでしょ? ぼくらが、ぼくだけになるなんて……ぼくは嫌だよ〉
〈ぼくらは最初、ただのぼくらだった。それが、ぼくらの中の多様性に気付き、それらに名前をつけた。それから少しずつ、ぼくらが稀薄になって、よりぼくへと近付いていく。これが予定調和というものかもな〉
〈でも、嫌だよ。ぼくだけになったら、きっとぼくらは狂ってしまうよ。みんな、ぼくらだったぼくらはきっと、ぼくになって狂って消えてしまったんだ。そんなの嫌だよ〉
〈ぼく、になるのも、そんなに悪いモンじゃないかもよ? そりゃ、あまり遠くまではいけないけど、その分、ぼくらの中のぼくってモンが、前よりわかったような、濃くなったような気がするしねぇ〉
〈でも嫌だよ。今度眠ってまた目が覚めたら、今度はどのぼくらがいなくなってしまうの? ぼくは嫌だよ、嫌だよ〉
 嫌だよ……………

 そして、次に目覚めた時、ラムダは応えず、それから何回目かの目覚めの後、ついにシグマも消えた。
 ぼくは……逃げだした。
 世界はひどくちっぽけで、頼りなく、だけど、ぼくだけの手には大きすぎて。
 空虚で、孤独で、不安で、ぼくはそれに耐えられなかった。
 ぼくは、ぼくらが一つだった場所から逃げだした。そこに確かにいたはずの、ぼくらの存在の喪失に耐えられなくなって。
 怖くて。怖くて。とても怖くて。
 ぼくは……………



   
         
 
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