壊れやすい天使 壊れやすい天使  
1章「落ちていた卵」
 
 
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 地上で、地天使と下天使が争い、その殆どが滅びた戦いから、二十年が経った。
 雲上の暗黒の都市では、集積場で孵った金色の天使達が、おだやかに暮らしていた。彼らは諍いを嫌い、互いに寄り添いあうように生きていた。
 彼らは、一度は空っぽになった天上の都市のそこかしこに住まいを得ていたが、二カ所だけ、立ち入ることのない場所があった。
 一つは、都市の中央に聳える、十二の尖塔をもつ大聖堂。
 もう一つは、大聖堂からも程近い、黒い両刃の剣のようなミラーガラス張りの高層ビル。
 大聖堂の中に、もはや生きて暮らしている者はなかったが、その一室には、金色の天使達にとって、決して軽んじることのできない存在があった。
 最初の天使。
 と、そう呼ばれていた。
 暗黒の天使から金色の天使へと進化を遂げた、最初の天使。
 その部屋に入ると、部屋の真ん中にある細長いベッドに寝かされた、小柄な少女の屍が最初に目につく。黒い髪の、古い天使の少女だ。それは、初めの頃は、噎せ返るような腐臭を漂わせていたが、二十年も経った今は、完全な白骨と化していた。それは乾いて白く、キレイだった。
 そして、最初の天使は、その白骨死体の傍らの床の上に、静かにそっと横たわっていた。死んでいることは、一目見ればわかる。まだ腐敗もさほど進んでおらず、皮膚が破れたり、眼球が流れだしたりはしていないが、既に全体が浮腫んで肌も黒っぽく変わっていた。光の束のような金色の髪も、ごっそりと抜け落ちている。臭いもする。
 だが、部屋全体にたちこめた、息が詰まるような悪臭は、その天使の死体からではなく、部屋の左側にある、半ばで砕かれた円筒形のガラスケースの底に残った、泥土化した青緑の沈殿物から漂ってきていた。誰も嗅いだことのないような、異様な臭気だ。
 そのガラスケースが砕かれる前、最初の天使が生きていた頃は、金色の天使達の殆どすべてが、一度は彼に会いにきたものだった。
 だが、最初の天使の生命を繋ぐ機械が少しずつ不調を訴え、やがて完全に止まって彼が亡くなってからは、その場所は、禁じられた場所となった。
 そしてもう一つ。黒いミラーガラス張りの高層ビルには、天上の都市で唯一、暗黒の天使達が住んでいた。
 彼らの一人は傷つき、病んでいた。なのに一人は、幸福そうだった。
 金色の天使達は、放っておいてほしいという彼らの意志を汲み、その場所も禁忌とした。

 そして地上。
 天上と同じように、もはやそこに住まうのは、卵人と呼ばれる人間達を除き、金色の光をまとった天使ばかりだった。
 だが、地上の天使達は、天上の天使達とは大きく異なっていた。姿形は同じでも、彼らは決して穏やかでも、諍いを嫌ったりもしない。残酷で、怠惰で、傲慢で。その毒の多くを、卵人と呼ばれる者達に吐きだしていた。
 空を覆う暗灰色の雲から受ける閉塞感や、壊れて崩れかけた都市に満ちる腐食の気配が、天使達を蝕むのだろうか。
 地上に住まう金色の天使は、今はすっかり数を減らした黒い天使達と、その言動において、とてもよく似ていた。


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 銀色のミラーボールがまわる。
 幾つもの銀の破片が、四方から向けられる光彩を照り返し、虹色に姿を変えている。ゆるやかな光の反射が、テーブルの上に流れるような紋様をつくりだしていた。陽光を照り返す水面も似た、破片のきらめき。
 ほの暗い店内は、二階分が吹き抜けになり、一階を細長いステージが占めていた。
 その両脇に、床に埋もれるような形で、二人から四人用の席が並んでいる。海の底のような青い闇の中を、銀色の光の破片ばかりが流れていく。
 その少女は、一番低い位置にある半地下の一席、暗く、造りもチープな席に、いつものように一人で座っていた。
 頬杖をついて見上げるのは、回廊のように巡る二、三階席で、微笑を湛えてささめく天使達。
 光に近い階上で笑う彼らは、その身を照らす光と、内からの光で一段と輝いて見えた。
 眩しさに目を細め、年の頃は十七、八の痩せた少女は、自分が座る場所の陰気な空気に誘われて、ため息をつく。
 どうしてなの?
 自分自身に問いかけて、すぐに胸の内で自嘲的に笑った。
 どうして、なんて。わかってるのに。
 あたしが彼らと同じ高さにいれないのは、あたしが天使じゃないから。あたしが光に近付けないのは、あたし自身が光じゃないから。仮に、同じ高さにいることを許されたって、いたたまれなさに、一瞬後には逃げだすに決まってる。そんなこと、わかってるでしょ?
 高く、光のあたるあの場所は、選ばれた者にこそ相応しい。それは、まさに輝くように美しい天使だけのものだ。
 そんなこと、わかってる。
 少女はため息よりも深く、息をつく。
 巡る天使達に囲まれ、地下を蠢く手足のない虫になった気分だった。湿った土の中に逃げ帰りたくなる。
 それでも、逃げることはできなかった。
 見ていたかった。自信に満ちて、誇らしげに顔を輝かせるあの天使達を。
 一人の天使は、天使の証であるたてがみを、それを持たない者達に見せつけるように、背中の大きくあいた服を着ている。一人の天使は、官能的に半透明のショールに透かしてみせている。プラチナも琥珀も、天使の金色の髪は、背中のたてがみを誇示するように、高く結いあげたり、まとめたり、短く切り揃えられていた。蠱惑的な、うなじから背骨にかけての流線。背骨を沿うように流れる黄金のたてがみ。
 触れてみたいと、思うことさえ罪かもしれない。
 自分達の美しさを見せつけるような薄着の天使達を見るにつけ、少女は、それはまったく、正しいやり方だと思った。自分達卵人に、劣等感と羞恥心を与えるのに、本当に効果的なやり方。
 本当に、あたしみたいに、女の腹から血まみれになって産まれてきた卵人は、反対に身体の隠れる服を着てしまうもの。
 少女は、カーキ色の七部袖のジップアップワンピースを着て、その下に、黒の長袖シャツを着ていた。ワンピースの丈は短めだが、その下には膝上の黒いスパッツを履いていたし、クリーム色の靴下は膝より少し短いぐらいで、でている部分は、顔と両手、両足の膝くらいだ。天使達は、それぞれ様々な色合いの服装をしていたが、半地下席に座る卵人達は、皆一様に、影に紛れるような暗い色味の服を着ていた。
 だって、卵から産まれる彼等に比べたら、自分の醜悪さに、恥ずかしくて、同じように身体を晒せるわけ、ないじゃない。どんなキレイな色の服を着たって、みっともなさが引き立つだけだもの。たてがみなんて、もちろん持ってやしないし。
 だが、もともとは、天使にたてがみはなかったと、大人達はいう。以前は、黒い髪に黒い眼の、それでもやはり美しく、残酷な天使達ばかりだったという。
 少女には、信じられなかった。それも、彼ら金色の天使達が現われたのは、ごく最近、ほんの二十年程前からだというのだ。
 信じられなかった。彼らは原初の頃からそのままに、未来永劫、変わることなく、金色に輝き続ける存在なのだと、その話を聞いてもなお、そう思った。
 第一、二十年やそこらで、それまでいた黒い天使のすべてが消えてしまったなんて、信じられるわけがない。消えたのではなく、都市の奥深くに、今もひっそり暮らしているのだといわれても、この目で実際に見たことはないのだ。見てもいないのに、信じられるわけがない。確かに、都市のあちこちは、古い天使種族の殆どが滅びたという戦いが実際にあったかのように、今も黒く焼け焦げたままだが、その戦いがあったという時には、自分はまだ生まれてもいなかったのだ。
 信じられるのは、今ここに、圧倒的な存在感で在る、金色に輝く天使達だけ。





 

   
         
 
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