虚ろだったその天使は、ある時、光の柱が天空の暗闇を貫いたその時、初めて自分の存在を意識し、戸惑い、呼ばれる名前を思い出したが、終わりの見えない卵との日々に、霧に霞むように意識を薄れさせていた。
そんなある日、ぼんやりと霞んだ意識に光を照らし、世界を鮮やかに染めあげる存在に、彼は出会った。
自分を産んだ天使に二対の羽を引きちぎられ、その後も狂ったような暴力を受け続けて、身も心も傷ついた小さな天使。
細く華奢な体に刻まれた無数の傷よりも、心に受けた傷の方が、乾くことなくいつも痛い。
傷ついて、絶望して、逃げだすようにして、虚ろな天使の住まうその場所に辿り着いたのは、偶然だったのか必然だったのか。
約束、しよう。
ぼくらはきっとまた会える。また会えるから。
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一面の卵海。
果てのない卵の海は、白い光に包まれていた。
卵自体から発しているかのようなその光は、漂う白い靄のようにも見える。一筋の乱れなく、並列に並べられた卵達は、全て四角い透明なケースの中に収められていた。
遥かなる卵海。
四方を囲む卵達。
白い卵で埋め尽くされた世界。
その中に、ぽつん、と一つの人影があった。
ただ一つの人影は、無数に並ぶ卵のケース番号を、一つ一つ順番に確認しながら歩いているようだった。その人影は、簡素な白いフード付のマントを身にまとっていた。マントの下には、同色の長衣が見え隠れしている。卵の海に同化するようなその装いも、長い漆黒の髪のせいで、遠くにいてもすぐにそれとわかる。
数え続けるその人は、ぼんやりと思っていた。
いつからこうしているのだろう、と。
いつからこうしていたのだろう。覚えてはいない。
数え続ける卵の数は、犯した罪の数と同じ。いつまでも、数え続ける卵がなくならないのなら、罪もまた消えることはなく。
赦される日はくるのだろうか。贖罪はあるのだろうか。
無数の、眠り続ける卵に埋め尽くされたここは、私の牢獄。
罪は、償えるのだろうか。犯してしまった罪は赦されるのだろうか。
わからない。わかっているのはただ、数え続けなければいけない、それだけ。
私の罪はなんだったろう。
そんなことを、真剣に答えを探すでもなく、ぼんやりと思っていた。
だが、そんなことすら、少し前までは思うことすらなかったのだ。生まれたその時から虚ろで、ただ永遠の卵の海で、繰り返し繰り返し卵を数え続けていただけだった。
孵されることのない無数の卵の一つ一つを、そのケースに故障はないか、卵自体に異常はないかと確認し続けるのが彼の仕事だった。
数え続ける卵の数はいつも同じ。その数三万。刻を止めて、孵ることなく眠る卵。
いつからかは、覚えていない。いつからか、いつも卵は数を変えずに、ここにあった。
卵集積場の凍結スリープカプセル。
天使達の卵。
生まれることを否定され、忘れ去られてゆく卵。
卵の存在を決して忘れない彼も、数え続ける対象として卵を見ていても、その卵自身の存在はほとんど忘れていた。ただ、あるから数え続ける。
それがいつか孵るかもしれない、生まれるかもしれない生命だということは、意識さえしていなかった。
それを嘆く者も、おそらく、もういないのだろう。実際、ここにこうして眠り続ける卵があることを、ほとんどの者は知らなかった。知っていた者も忘れてしまった。覚えていても気にしてはいない。そんな自分に不審を覚えることさえない。
天使達の卵。
孵らない、ほのかに光る卵は、何を夢見ているのだろう。
見る夢さえも、とうの昔に失くしたのかもしれない。
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