卵人狩  
1章「薄闇の都市」
 
 
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 空は重く、暗い色をした一面の雲に覆われている。
 永遠に続くかと思われる厚い雲の波。すべてを押し潰そうとしている空の低さ。
 暗灰色の雲海に向けて、針山のような高層ビルが、灰色の大地につき刺さっていた。崩れかけたビルの群れも、闇と埃にまみれて、薄汚れた色をしている。
 天の光の源は、厚い雲に遠く、その奥にあって輝きは薄い。
 灰色の大地を塵や埃が塊となって低く舞い、風に転がされていく。
 廃墟のように暗く荒んだ都市を、無表情ないくつもの影が行き交っていた。

 と、一つの影が、黒いブーツで鮮やかなブルーの紙片を踏んで、唐突に立ち止まった。
 端が千切れた青い紙には、下層民を使った人間狩り、『卵人狩(らんじんがり)』が、近日大々的に行われることが白く浮かびあがっている。
 風にはためくケープ付きの黒いコート。全身黒づくめのすらりとした長身の青年。わずかにくせのある、背中の中ほどまで伸びた彼の髪は、見事なまでに白い。ところどころが長く、短く、不揃いなままに、その白髪は途絶えることのない風に吹かれていた。秀麗なその容貌は、どこか疲れて表情を失っている。
 彼の暗い瞳が見下ろすのは、両手の平に収まるくらいの箱の中で淡い光を放つ、

 白い卵。

 ぼんやりと、薄暗い大気の中に浮かびあがって見えた。
(病んでいるのはこの都市か)
 そう思ってビルを見上げる。
 歪められたバベルの塔。茨のように乱立する高層ビル。退廃と混沌の色。
(病んだ都市を蝕んでいくのは、やはり病んだ者達なのだろうか)
 そう思って道行く者達を眺める。
 早足に通り過ぎる薄暗い都市の住人達は、誰一人、立ち止まる彼に見向きもせず、その足元に転がる卵に目を止めようとしない。
(これもまた、病んでいるのだろうか)
 そう思って卵に目を落とす。
 塵と影の沈殿する街角。深い闇へと続く路地裏の入口に、ひっそりと淡い光を放つ卵。
(病んだこの都市の、病んだ天使の病を遺伝して、産みおとされた卵も、やはり病んでいるのだろうか)
 随分と前から、こんな光景も珍しくなくなっていた。崩れかけた都市のそこかしこで捨てられている卵。郊外にある捨て卵の集積場は、とうに最大容量を越えている。それでも時折、卵回収車が捨てられた卵を拾いにきてはいた。だが、その入りきらないはずの卵、余った卵がどこへ行くのかはわからなかった。食卓にでものぼっているのだろうと、グロテスクな噂も流れている。
 閉ざされた狭い都市の中、人口は飽和状態で、敢えて卵を孵す者もなく、天使達は、快楽をだけを求めて交じり合い、孕めば、卵を産むだけは産んで、後はどこかの薄暗い街角に転がしておく。自らの遺伝子を残そうという、種の保存欲のためでなく、快楽への欲求だけのSEX。欲望を抑えるホルモン剤なら、何十種類も市販されているのに、天使達はそれを使うつもりはないようだ。
 産まれてしまったら捨てればいい。快楽を我慢する必要なんてない。
(空は……天使達の欲望で、腐って今にもとけ落ちそうだ。天上の腐敗にうんざりして、こうして地上に降りてはみても……変わらない。どこも変わりはしない)
 もうすぐ世界は、爛熟しきった果実のように、グズグズととけ崩れてしまうだろう。
 熟した果実は青い実に戻ることはないのだし、新しい種は……孵されることなく、路地裏に打ち捨てられている。
 この腐蝕を止めることは、もうできないのだろう。
 病んでいないものなどないのだし、澱んだ沼の底のような世界を攪拌する力も、新しい命を生みだす力も、この世界には残っていないようだった。
(天も地も汚れ果て、どこにいても汚れてしまうことに変わりはないのに。自分だけが、こんな世界の中、キレイなままでいられるわけもないのに。そんなことは、わかっているのに。私は、どうして、こんな重苦しい気分を、拭い去ることができないのだろう。私はどうしたいのだろう。この卵をどうするつもりなのだろう。どうして立ち去らないのだろう。どうすることもできはしないのに)
 黒いコートの青年は、箱の中の卵を見つめたまま、ただそこに立ち尽くしていた。
 ブーツの爪先に動きを奪われた青い紙片が、パタパタと風に音をたてている。なんとなくそれが気になって、足をあげて解放してやった。
 薄暗い都市の中に、奇妙に鮮やかに浮かびあがる鮮青色の紙片は、埃ともつれあって、薄汚れた街路の奥の薄闇へ消えていった。
 と、
〈連れていって〉




 

   
         
 
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