面接会場を間違え、なんだかよくわからない内に採用されて、勝手に改名されて、
おまけに最初の契約期間中に退職したら、
「輸送船のレンタル料やら修繕費やらは自己負担」
なんて、えげつない内容に気づく間もなく契約書にサインしてしまって、ふと気づいた時には、逃げるに逃げられない状況になって、早一ヶ月弱。
一週間の研修期間を終えて、青(セイ)が配属されたのは、瑪瑙(メノウ)という名前の、スラッとした影のような女性の下だった。
青が十八歳になって、希望すれば一人でも働くことができるようになるまで、青は彼女の指揮下ということになる。思ってもみなかった職種に就くことになって、実際かなり不安だったから、経験のある先輩が一緒にいてくれるのは、
「少し安心かも」
と、最初はそう思ったものだ。そんな安堵感は、瑪瑙と仕事をするようになった初日に、きれいさっぱり吹っ飛んだのだが。
船に乗って配達に行くのは、別に嫌じゃなかった。むしろ、事務職なんかに就けと言われたら、相当嫌だったと思う。
外を出歩くのも、乗り物に乗るのも、実はかなり好きな方だし、この点については満足してる。
とはいえ、一般に、退職理由の多くに「人間関係の問題」があるように、どうもペアを組んだ相手との関係は、イマイチうまくいっていないような気がする。
人間関係の問題、というか、相手の「人間性」に問題がある。
と、青がハッキリと認識したのは、折りしも彼の十六回目の誕生日だった。
銀河標準時間で計算すると確かにその日が誕生日だったのかもしれないが、
頻繁に宇宙に出ている身としては、あまり実感もなく、正直、誕生日だということに気づいてもいなかった。いつもと同じように仕事をして、いつもと同じように一日が終わることを、意識するまでもなく、当たり前に思っていた。
それが、非日常的な一日になると気づいたのは、本社所有の宙港に降り立ち、自分達の船の定期メンテナンスを依頼した後の、瑪瑙の唐突なセリフからだった。
「そうだ。お前にプレゼントがあるんだけどね」
「プレゼント……?」
突然なにを言いだすのだろう、と、青は首を傾げて問い返した。
「そう。今日、誕生日だろう?」
「えっ」
青は思わず、ポカン、と口を開け、それに気づくと慌てて口を閉じた。だが、その目は驚きに見開かれたままだ。
「資料にはそうあったんだけどね。違うのか?」
「え、え、えっと、あれ?」
「どうした?」
「え、あ、そ、そうかも? あ、そうだった、うん」
「自分の誕生日のくせに、なんでそんな曖昧なんだ」
そう言って、瑪瑙は少し笑った。
それは、この一ヶ月弱の間、一度も見たことのない穏やかな笑顔で、青は、まるで初めて会った人を見るような想いで、瑪瑙をまじまじと見詰めた。
それに気づいた瑪瑙が、かすかに面白がるような光を瞳に浮かべ、口元の笑みを深くした。
「なにをそんな、不思議そうな顔をしてるんだ?」
「え。いや、別に……」
青は語尾を濁らせ、わずかに俯いた。瑪瑙は、笑顔のまま、そんなことより、と言った。
「私からのプレゼント、受け取ってもらえるかな?」
「えっ、あっ、いい……のか?」
青は顔を上げ、少し照れながら尋ねた。
「せっかくこうして同じチームになったんだしね、これくらいはさせてもらわないと」
と、瑪瑙は、手品のように、いつの間にか後ろ手に持っていた、紺色の四角い包みを取りだした。包みの右上と左下には、赤いリボンが巻かれている。
青は、遠慮がちにためらった後、おずおずと瑪瑙の手からその包みを受け取った。
まさか瑪瑙が誕生日を祝ってくれるなんて、本当に思いも寄らなかったから、嬉しさと同時に、気恥ずかしさと困惑がある。
「誕生日おめでとう」
にこやかに笑って瑪瑙が言い、青は照れ臭そうにお礼の言葉を呟いた。
やわらかいシフォンのような手触りの紙に包まれたそれは、思っていたよりも軽かった。
なんだろう? とちょっと首を捻り、それから瑪瑙に尋ねた。
「開けてもいいのか?」
「もちろんだよ」
頷き、気に入ってくれればいいんだけど、と続けた瑪瑙に、青は深く反省した。
(俺、こいつのこと、すげー誤解してたんだな)
出会った瞬間から、毎日のようにからかわれたり困らされたり色々され続けてきたから、
(性格悪ぃ。つーか、どSだろ、こいつ)
と思い込んでいた。
いや、確かに人をおちょくるのは事実だが、それだけじゃないんだということに、今初めて気づいたのだ。
(誰にだって、いいトコもありゃ、悪いトコもあるよな。悪いトコだけしか見てなかった俺が悪いんだよな、きっと)
青は、これからはもうちょっといいトコもちゃんと見て、うまくやっていこう、と胸の内に誓った。
それから、例え中身が自分の趣味とは違ったり、正直あまり嬉しくないものでも、自分の誕生日を覚えてプレゼントまで用意してくれた瑪瑙の気持ちだけでも大事にしなきゃな、と思いながら、リボンをほどき、紺色の包装紙に包まれたものを取りだした。
「?」
最初、それがなんなのかわからなかった。
深緑のドーム状の布。
クルリとひっくり返してみて、そこに折り畳まれた黒い庇を見つけ、ようやくわかった。
だが、なぜこれをプレゼントとしてセレクトしたのかはわからない。
(……野球、帽だよなぁ?)
青は困惑気味に庇を引っ張りだし、完全な野球帽としての姿をあらわにしたそれを、まじまじと見詰めた。
これをかぶれ、と言うのだろうか。
でも、どうして?
「どうかな?」
と、帽子を手にしたまま固まった青に瑪瑙が尋ね、青は取り繕うように、慌てて笑顔を作った。
「えっ、いや、ありがと。けど、なんで野球帽なんだ……?」
「似合うと思って」
と、目を細めて笑う瑪瑙に他意はない、と思うのだが。
青は、手の上の帽子を見下ろしながら、自分自身の髪型に思いを巡らせ、
これをかぶったらどうなるだろう、と想像してみた。
青の栗色の髪は、幾つかの束になって高くつき立てられている。
未だ成長途中で、まだ少しだけ足りてない、と思っている青の自称160cmの身長は、このつき立てた髪の毛を含むというのは、公然の秘密だ。
もしここで、頭にぴったりフィットする野球帽なんかかぶったら、身長を割り増している髪の毛が潰れて、自分が結構小さい、というのが思いっきりわかってしまうだろう。
結構小さい、ことを周りの人々が気づいてないと思ってるとしたら、かなりの大間違いなのだが。
本当なら、ここでプレゼントされた帽子をかぶってみせて、「どうだ?」「似合うよ」「ありがと」とかなんとかいう会話を繰り広げるべきなのだろうが、髪の毛を潰して帽子をかぶることには、激しく抵抗がある。
(けど、せっかくくれたのに、かぶんないってのも悪いよなぁ)
激しい葛藤に、だんだん頭が混乱してきた頃、瑪瑙が促すように言った。
「かぶってくれないのか?」
「あ、いや、そんなことは……っ」
慌てて顔を上げ、弁解しようとした青は、
「似合うと思うんだけどな、本当に」
と言う瑪瑙の口調と、不自然なまでに細められた目が含むものに、ハッと息を呑んだ。
一瞬、信じられない、と目を瞠り、それから怒りをこめて、瑪瑙に指を突きつける。
「お前っ! わざとか!」
「わざと?」
瑪瑙は青の言葉と口調に驚いたような顔をしたが、その口元は微妙に笑みの形に歪み、青の指摘が事実だと告げていた。
「とぼけんな! お前、俺がこんなのかぶれないってわかってたんだろっ!」
「かぶれない? どうして? 気に入らないのか? 色が嫌だったか?」
「そーゆーこっちゃねェっ」
「じゃあ、どういうことなんだ?」
「……っ!!」
そこで詳しく説明すれば、自分でこの髪の毛が身長補填のもので、背の低さを気にしているってことまでも口にしなければいけなくなる。それを青自身に言わせるのが瑪瑙の意図だってことは、青にもわかった。だから、
「もういいっ!」
と吐き捨てて、自分の部屋に駆け戻ることだけが、青にできた精一杯のことだった。
そして青は、逃げ込んだはずの自分の部屋に、こんな状況よりも、もっともっと、死に物狂いで逃げたくなる「もの」を発見することになる。
だがそれは、また、別の話。
おしまい
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