銀河ぴよぴよ運輸の配送チームで働いている(働いて……?)翡翠は、最近一人で買い物に行ってないなぁ、と思っていた。
時間ができた時に行こうとしても、まず青の許可をもらってから、というのがいつの間にかのお約束になっていたし、
行くとしても、見張りと称して青やたまには瑪瑙も一緒についてくる。船内に持ち込めないようなものを買わないためだと青は言うけれど、どの位の大きさまでなら乗るかぐらい、翡翠にだってわかる。
……乗るか乗らないかという問題じゃない、ということには思い当たっていないが。
生き物はダメだ。
なんてこともよく言われるけど、“えみち”については、瑪瑙のフォロー(フォロー……?)もあってか、特別に許してくれた。他の生き物は実家に送らざるを得なかったけれど。
(結局、せーは優しいんだよね。買い物についてくるのだって、うっかり持ち込めないようなものを買って、後でダメって言われて、僕がガッカリするのを見たくないから、っていうのもあるみたいだし)
青の乱暴な言葉と態度に隠された、気遣いや優しさはわかっているつもりだけれど、たまには、と思う。
(やっぱり、たまにはゆっくり一人で買い物に行きたいなぁ)
そんな中、ガニメデまで荷物を運んできた今日、三時間ほどの空きができた。
青に、
「お前、どうすんだ?」
と聞かれた翡翠は、ちょっと考えてから首を横に振った。
「んー……今日は船に残るよ」
「そう、か?」
青は少し意外そうな顔をしたけれど、それ以上なにも言わず、ただ、
「じゃあ、俺はちょっと出かけてくるから」
とだけ行って、彼らの乗る船、<琥珀>を後にした。
瑪瑙も、
「じゃ、私も……」
と続けて出かけていった。
残った翡翠は、ブリッジから自分の専用キャビンに戻り、すぐにフィルムペーパーにメモを書き記した。
ごめん。やっぱりちょっと出かけてくるね。時間までには戻るよ。
そう書いたメモを、ユニット式のベッドの上で遊んでいたえみちに、
「えみち、僕ちょっと出かけてくるから、お留守番してて。もしせーが先に帰ってきて、僕のこと聞いたら、これ、渡しておいてくれる?」
と、差し出した。えみちは、小さい手でなんとかフィルムを掴むと、翡翠にしかわからない言葉で自信満々に請合った。
「にゅ、にゅにゅにゅう~(まかせるにゅ。きをつけていってくるにゅう)」
「うん、ありがとう、よろしくねー」
「にゅにゅう(いってらっしゃいにゅう)」
フィルムを持っていない方の手を振って見送るえみちに片手を振り返し、翡翠は自室を後にした。
ガニメデには、ガジェットモールと呼ばれる怪しげな店が並ぶ通りがあって、そこには翡翠の行きつけの店の一つがあったが、久しぶりの一人の買い物は、いつもと違う所に行こうと思っていた。翡翠の珍品奇品コレクター仲間の一人が以前に、こんな店もあると教えてくれた所だ。
ガジェットモールからは少し離れた、割と小奇麗な店舗の並ぶ一角に、その店はあった。
『ヘブンズゲート』という名前の店で、小奇麗な店の立ち並ぶ中にあっても、なんら遜色のない店構えをしていた。
深いビロードのような濃紫のドアを抜けると、ドアと同じ色の絨毯が敷き詰められた明るい店内になっていた。壁の色はごく淡い薄紫で、整然と並ぶショーケースの台は落ち着いた藤色。
全体を、ともすれば下品に、安っぽくもなる紫系で統一した店内は、絶妙なバランスで垢抜けた上品な雰囲気を醸しだしている。
こんな上品な雰囲気に馴れていないワケじゃない。むしろ馴染みが有り過ぎて、ちょっと飽きているだけに、翡翠は少しガッカリした。
整理され、計算され尽したように並ぶ商品の数々。確かに見易くはあったけれど、どこになにがあるかわからない、どんな掘り出し物が隠されてるかわからない、そんなワクワク感を感じられないのが残念だった。
それでも、もしかしたらすごい珍品が置いてあるかもしれない。
気を取り直し、店の奥へと足を踏み出した翡翠の脇に、いつの間にか黒いスーツ姿の四十代半ばと見える店員が現れ、 店の雰囲気にピッタリな落ち着いた上品な声音で翡翠に声をかけた。
「なにかお探しですか?」
翡翠は、突然現れた店員にも特に驚いた様子も見せず、店員を振り返って、まったりとした口調で応えた。
「うん。なにか面白いものでもないかと思って」
着ているものこそ配送員の濃紺の制服だが、その派手な整った容貌と育ちの良さそうな物腰、口調に、一目で上客だと見抜いたのだろう。店員の営業用スマイルが濃くなった。
「当店は、他にはない珍しい品々ばかりを取り揃えております。特にどういったものがお好みでしょう」
「うーん……動くものの方がいいなぁ。でも気持ち悪いのは嫌だな。他にはない面白いものが欲しいんだ。あ、あと、あんまり大きくない方がいいかも」
船内に持ち込めないものを買ってはいけない。
という青の注意を思い出して、翡翠はそう付け加えた。
だが、その後すぐに、どうしてもというわけじゃない、面白ければ多少大きくてもいい、と言い直したのは、船に入らなければ自宅に送ればいいと気づいたからだ。
折角の一人の買い物。そんな制限なんてつけずに、思いきり楽しみたかった。
翡翠のリクエストに応えて、店員はあれはどうです、これはいかがです、こんなものもありますと、次々にショーケースの前に、翡翠を案内した。だが、既に持っていたり、見たことがあったり、興味が沸かなかったりと理由は様々だったが、どれも翡翠の心を掴むものではなかった。
最初は自信満々だった店員も、少しずつ焦りはじめたようだ。
気に入った商品さえあれば、どれだけ高額だろうと購入する客だ!
という確信があっただけに、むざむざと逃がしたくはないのだろう。
「他にないの?」
これならどうだと見せた商品もまた駄目だとわかると、店員は少し考えこんだ。
その間をネタ切れと判断したのか、翡翠がもう帰ろうと出口に視線を巡らせると、店員は慌てて言った。
「わかりました。これはまだ商品として並べていないものですが、特別にお見せします。これなら他には決して置いてないと思いますよ」
「ほんとに?」
「はい。少々お待ちください」
そう言って、店員は店の奥にある関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を開けて、その奥に消えた。
翡翠が、のんびりと店内を改めて眺めていると、間もなく、黒い小さな箱を手にした店員が戻ってきた。
「お待たせしました。これです」
翡翠は期待半分諦め半分で、店員が白い手袋をはめた手で、ショーケースの上で箱の前面についた開閉ボタンに触れるのを眺めた。
カチリ、とかすかな音を立てて、黒い箱は左右に分かれるようにして開いた。
黒い外箱の中には、透明の一回り小さいガラスケースが入っていて、その中に拳大の丸くてピンクの物体があった。
「えみち!?」
思わず声を上げた翡翠に、店員は驚いたように言った。
「これもご存知なんですか!?」
「うん、持ってる……でも」
横たわり、目を閉じて眠っているらしいこのえみちは、自分のえみちとはどこか違う。
体毛の色は同じピンク色だけれど、船で自分の帰りを待っているえみちにはないものがある。
頭にかぶった十字マークのある白い帽子。
「これ、わざとかぶせてるの?」
「帽子のことですか? いえ、これは最初に発見された時からあるんです。取ってみようとしたんですが、しっかりくっついて取れないんです。この帽子以外にも小さい注射器も持っていたんですが、それは別にしてあります」
「そうなの? じゃあ、僕のとは少し種類が違うのかなぁ」
と、その時、白いナース帽をかぶった(くっつけた?)えみちがわずかに身動ぎした。
「あ、起きそう」
期待に満ちた声で呟いた翡翠に、店員がやんわりと否定した。
「起きませんよ。薬で眠らせていますから」
「薬で?」
ムリヤリ眠らせているのかと、翡翠は少し眉をひそめた。翡翠の声に含まれたわずかな非難を感じ取り、店員は慌てて言った。
「いえ、移送中の事故を案じて一時的に眠らせているだけです。つい昨日届いたばかりなもので」
「いつ起きるの?」
「二、三日後には」
二、三日後では遅かった。今日、あと一時間もしたら船に戻らなければいけない。起きた状態でこのえみちと話してみたかった翡翠は、ガッカリしてため息を漏らした。
「それじゃあ、間に合わないなぁ」
「こちらにはお仕事で?」
「うん。時々寄るんだけど、今度いつこれるかはわからないんだ。今日だってもうすぐ戻らなきゃいけないし……」
「左様ですか。こちらとしましても、一週間後位には店頭に並べる予定でして」
「そっかぁ。うーん、起きないかなぁ」
呟いて、翡翠はガラスケースを指先で軽く叩いた。
と、その音が聞こえたのか、ガラスケースの中のナース帽えみちがもぞもぞと身動ぎしたかと思うと、
「あ、起きた」
ナース帽えみちの、正露丸かBB弾並の小さな目が開いて、ガラスケースを覗きこむ翡翠を、どこか物珍しそうに見上げた。
「そんな……まだ目が覚める予定では……」
呆然と呟く店員を他所に、翡翠が早速声をかける。
「こんにちはー。聞こえるー?」
ガラス越しに翡翠が問いかけると、ナース帽のえみちは、ケースの中で少しこもった鳴き声で返事をした。
『にゅう! にゅにゅ~(こんにちはにゅ! 聞こえるにゅう)』
その鳴き声は、翡翠が直に身につけている翻訳機を通して、ハッキリした言葉になって聞こえた。翡翠は、それを聞くと、とろけるような嬉しそうな笑顔になった。
「きみは、えみちなんだよね?」
『にゅにゅう、にゅうにゅにゅ(違うにゅう、えみちナースにゅ)』
「えみちナース? えみちとは違うんだ。へえぇ」
翡翠のえみちと少し違うと思ってはいたけれど、名称すら違うとは思わなかった。それでも、十中八九、えみちの種に属する生き物なのは間違いない。
と、感心して頷く翡翠に、店員が明らかに動揺した声で尋ねた。
「あ、あの、お客様? まさかこの生き物の言葉がわかるので?」
「うん、わかるよー。翻訳機があるから」
謎のどーぶつ。
未だその殆どが謎に包まれた生き物と聞いていた店員は、あっさりと頷かれ、焦って聞き返した。
「翻訳機!? そんなものが出回っているんですか?」
「出回ってはいないよ。これ、試作品だから」
「試作品……そ、そうですか」
それなら。
それなら「謎のどーぶつ」という触れ込みも「未知の珍獣」という宣伝文句も、あながち間違いではないのだろう。
既に、かなりレアな珍獣として売り出す気満々だった店側としては、翻訳機が普通に出回っているほどポピュラーな生き物ではなかったことに、ほっと胸を撫で下ろした。
そうして店員が驚愕、動揺、焦り、安堵と目まぐるしく感情を動かしている間にも、翡翠はケースの中のえみち、えみちナースとなにやらずっと話し込んでいた。
ふいに、なにを話しているのか気になった店員が耳をそばだてると、翡翠が丁度、
「わかった、言ってみるよ」
とえみちナースに答えているところだった。
なにを言うのだろうと不思議に思っていると、翡翠が顔をあげ、店員を振り返った。
「なにか?」
「うん。あのさ、このえみちが最初に持ってた注射器があるって言ってたよね?」
「はい……ございますが」
「それね、返してあげてくれないかなぁ」
「返すとおっしゃいますと?」
「このね、えみちナースって、頭の帽子と注射器がないと駄目なんだって。ちゃんと持ってないと、死んでしまうこともあるくらい、すごく大事らしいんだ」
「死んで?」
それは困る。すごく困る。
「だから、早く返してくれないと困るって、そう言ってるんだよね」
「は、はぁ。それでしたらすぐに戻してやります」
なんだかよくわからないが、それほど重要で生死に関るというのなら、危険かもしれないと遠ざけていたが、返してやった方がいいのだろう。死なれてしまっては、元も子もないのだし。
翡翠は店員の返事を聞くと、ホッとしたように笑って、それをえみちナースに伝えた。
「よかったね、すぐ返してくれるって」
『にゅう! にゅにゅうにゅにゅにゅにゅう(ありがにゅう! これで元気のない人に特製注射をしてあげれるにゅ)』
「うん、よかったね」
えみちナースの特製注射が、実は青汁入りのヤバイ液体で、注射されたら死んじゃう。
ということを知っていれば、ちっともよくない状況だとわかっただろうが、残念ながら、ここにその事実を知る者はいなかった。
「それじゃあ、そろそろ行くよ」
『にゅにゅう。にゅにゅにゅう(ほんとにありがにゅう。また遊びに来てにゅ)』
「うん、今度時間ができたらね」
気づけばいつの間にか別れの挨拶をしている翡翠に、結局買うつもりはないのだろうかと、店員が問いかけた。
「お客様? それで、こちらはいかがなさいます?」
「んー?」
と、振り返り、翡翠はまったりした微笑みを浮かべて首を横に振った。
「やめておくよ。このえみちナースじゃないけど、同じえみちがいるし、えみちナース自身も、折角新しい場所に来たんだから、暫くここを見ていたいって言うしね」
「そうですか。それは残念です」
「でも、また時間があったら来るから、それまでにもっと面白いもの、用意しておいて」
「かしこまりました。必ず、ご満足いただけるものをご用意してお待ちしております」
「うん、それじゃあ」
深々と頭を下げる店員に頷きかけ、ガラスケースの中に軽く手を振って、翡翠は店を出ていった。
心の中には、久しぶりの一人の買い物でなにも買えなかったことを残念に思う気持ちもあったが、それよりも、えみちナースと会い、えみちナースの願いを適えてやることができた満足感の方が大きかった。
(やっぱり、いい事をした後って気分いいよねぇ)
その後、無事注射器を手に入れたえみちナースが、元気がなさそうに見えた客や仕事を終えて疲れた店員に向けて、死の注射器をつきたてようとする騒ぎが起こることを知らない翡翠の、船へと戻る足取りは軽かった。
おしまい
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