日光浴
 
犬 耳  
   
line decor
  HOME
line decor
   
 


「特殊追跡部隊?」
 一ヶ月前、人事の岸渡山部長から内示を受けた僕は、その耳慣れない部隊名に思わず眉をひそめ、鸚鵡返しに聞き返して しまった。新人隊員にあるまじき態度だったと思う。
 だが、ゴルゴ何某みたいないかつい顔と裏腹に、岸渡山部長は穏やかに微笑みながら頷いた。笑うと、ナイフみたいな目がくしゃっとなって、ちょっとかわいくさえ見える。二十も年上の女性にかわいいって言ってもいいものかわからないけど。
「新設されたばかりの部隊だから、外部にもまだ一切知られてないの。だから、配属日当日まで、高須川くんにも内密にしてもらいたいのよ。わかった?」
「は、はい。わかりました」
 ここで首を振ったり、あれこれ追及するのは無理だった。なにしろ、この春に採用が決まって、研修期間を終えたばかりの新人警察官だ。ただ、了解の敬礼を少しぎこちなく返すのが精いっぱいだった。


 そして、配属日当日。
 僕は、署内の地下一階にあるという、「特殊追跡部隊」の部署に案内された。案内してくれたのは、同じ部署の課長で五十歳独身、自分の筋肉を磨きあげるのに全ての情熱を注ぎ込んでいそうな、中駿河課長。
 中駿河課長は、四角いガラス窓のついた灰色の扉を開けると、開口一番、
「新人犬の高須川くんだ」
 と、中にいるらしき部隊員に僕を紹介した。
 ……って、新人「犬」?
 ものすごい違和感と底知れぬ嫌な予感に、僕の足が一瞬止まる。
 だが、次の瞬間には、中駿河課長の有無を言わせぬ左手が、僕の背中を押し、僕はその部屋に足を踏み入れた。
 踏み入れた途端、目の前に広がった有り得ない光景に、僕の口は、ポカン、とアホみたいにあいていた。ゴクリと音をたてて唾を飲み込み、やっとの思いで言葉を吐きだす。
「な、な、な、ななんなんですか、あれは」
 灰色のスチール製のデスクが向き合うように並び、デスクの上には、ノートパソコン、色とりどりのファイル、小さな観葉植物、セロテープ、ペン立て。机と同じ色の回転式の椅子には、三人ほどの人間?が腰掛け、僕を見ていた。
 思わず、人間?と疑問符をつけてしまったのは、彼らの頭の上にある、茶色やら黒やらのフワフワした動物の耳らしき物体と、その顔面中央に当り前のように張り付いた、白い桃に黒い逆三角のボタンをくっつけたような代物のせいだった。
 中駿河課長は、チラリと僕に視線を落とすと、どうということもないように、サラッと言った。
「我が特殊追跡部隊標準装備の「犬耳」に「犬っ鼻」だが、なにか問題でも?」
「問題でもって、あれって、あれって、コスプレ……?」
 嫌そうに顔をしかめた僕に、隊員の一人、顔の中心に堂々と鎮座まします犬っ鼻のせいで、声を聞くまでわからなかったけど、茶色い犬耳のショートカットの女性隊員が、聞き捨てならないと立ち上がった。
「ちょっと! 失礼なこと言わないでっ。これは正式な装備よ。あたし達はレイヤーなんかじゃないわよっ」
「いや、だって、正式なって言われても、犬のつけ耳につけっ鼻が正式な装備だなんて、常識からは考えられないかなぁ、なんて」
 新人の立場を忘れて、つい冷静に指摘してしまった僕の肩に、中駿河課長のやけに分厚い手が、ズシ、と沈む。本人は軽く乗せたつもりかもしれないけど、身長二メートル近い巨漢の左手は、とても軽くは受け止められなかった。ミシ、と骨の軋む音さえ聞こえた気がした。
 思わず体が斜めになってしまった僕に構わず、中駿河部長が力説する。
「まぁ、最初はそう思うかもしれない。だがな、常識というなら、よく考えてみたまえ。犬の嗅覚は人間に比べて100万倍から一億倍、人間の耳は16~20,000Hzの範囲しか捉えられないのに比べ、犬は65~50,000Hzの音を捉えることが可能なんだぞ。常識から考えて、どちらが優れていると思うんだ?」
「いや、それは、犬の方がすごいとは思いますけど……」
「そうだろう? だからこそ、我々は犬並の聴覚と嗅覚を身につけることのできる、この装備を使ってだな」
「だったら、本物の犬を使えばいいじゃないですか」
 なんのために警察犬ってものが存在すると思っているんだろう。
「犬は喋れないだろ」
 そんな基本的なことを偉そうに言ったのは、今まで黙ってこっちを見ているだけだった、眼鏡の黒耳隊員だ。
「その通り。犬と同じ追跡能力を持ち、視力は犬以上、言語コミュニケーションも円滑、尚且つ、自ら思考し行動できるという、画期的な能力を有する我が部隊の真髄がわからないとは。先が思いやられるが、先ずはお前もこの二つを身につけて、その素晴らしさを体感するといい」
 言いながら、茶色と白のブチ模様の犬耳をつけた、クルーカットの背の高い部隊員が立ち上がった。その手には、三人と同じ犬っ鼻と真っ白な犬耳。
 冗談じゃない。あんなのつけたら、末代までの恥!
 だが、逃げだそうにも、僕の肩には中駿河課長の手が重くのしかかり、身動きできない。近づくブチ耳隊員。
 ど、どどどどうすれば!?
 僕は焦りながら、最後の抵抗を試みる。
「でっでも、同じ能力を持ったとしても、同じ格好をする必要はないと思うんですけどっ!」
「あっ」
 何かに気がついたような声をあげて、ブチ耳隊員の動きが止まる。見ると、部隊員全員が、同じような顔をして凍りついていた。
 誰もそれに気付いてなかったんかい!
 力の抜けたブチ耳隊員の手から、犬耳と犬っ鼻が滑り落ち、床でカツンと音をたてた。





 
    << BACK    NEXT >>